以前書いた松本復興相・宮城県知事会談の話、書いてすぐに松本氏の辞任が決まり、そんな問題じゃないと感じていた自分としてはなんとも言い難い気分だった。そう感じた自分の感覚がおかしいのかな?と思ったりもした。
しかしその後分かったことがあるので、懲りずに続きを書くことにした。
あの時は情報として関連付いていなかったが、宮城県知事が震災後の復興計画を民間会社に丸投げしているとの情報がある。そこに地元の意向は反映されていない、というか、あえて入れないと知事自ら明言しており、地元は賛否両論喧々囂々な状態にある。
「県でコンセンサスを得ないと国は何もしない」との発言は、宮城県知事のやり方に対する懸念が背景としてあったとするなら、地元の意見をまとめきれていない知事に対し釘を刺しているだけの、至極まっとうな発言に過ぎないと思えるがいかがだろうか。
松本氏がそういうことを言うなりの背景があるはずだろうに、と不可解に感じていたが、上記情報と合わせて考えると妙にしっくりくる。しかしなぜ、松本発言報道でこのことにまったく触れていなかったのだろう。
もう一つ。
知事と松本氏はあの時が初対面じゃなく、旧知の間柄だと言う。
であれば、あの報道でも取り上げられていた「長幼の序」の意味するところも変わってくる。
俺のほうが偉いんだ、などという思い上がりの発言などではなくて、目上・目下というだけの非常にシンプルな意味でしかないのではないか。
知り合いのおっさんが偉そうな口をきいてきたからといって、ことさら不快に感じるものだろうか。まあ感じる場合もあるだろうが、たいていの場合は目上のおっさんと目下の自分とのやりとりとしては自然な形態でしかないし、親しみがこもっているが故のぶっきらぼうさというのもよくあることだ。
だとすると、あの物言いにも何の問題も感じない。
「国と地方は対等な関係」としてやりとりに不快感を示した知事のほうが、そのような立場を越えた人と人との関係ということに関してよっぽど不見識な印象だ。
あの報道に対する最大の違和感は「マスコミを恫喝」したことになっていることだ。
当時から感じていたが、上記のように考察してくるとなおさら、あの「オフレコ」発言は冗談というか軽口に過ぎないとしか思えないのだ。
人々の反応のほとんどが「恫喝だー」「うわー最低」といった松本氏批判ばっかりだが、本当にみんながみんなそう感じているとしたらちょっと何か怖い。上手く言えないがそこはかとなく空恐ろしい感じがして仕方がない。
ここまで書いてきて、まるで松本氏応援団みたいな感じになってしまっているが、そのような意図があってやっていることではない。
関心のある報道や情報を追いかけていくと時折このような違和感を感じさせられることがあるが、そのようなことに対する自分なりの意見をはっきりさせておきたい、という趣旨であり、松本氏や宮城県知事を云々したいという考えは微塵もないので、そこだけは誤解がないようにお願いしたい。
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